YO茶の足跡残す日記

日々感謝の気持ちで、思う事をいろいろ書いていきます。

同僚との会話(加筆しました)

今日、同僚と1杯だけということで上野のハードロックカフェに行きました。客先からの帰り、それも夜も9時を過ぎてからの1杯なので、腰を据えて話す時間もなく、会話した内容は定番の仕事関連でした。
そんな会話の中で、無責任な発言を客先でしてしまう人は、なぜそういうことを言ってしまうのかという話題になりました。

同僚の見解としては、


「自分が最後の砦として仕事をしたことがあるかどうかに尽きる」


というものでした。少しだけ背景を説明しますと、私たちの部所は、(何度かブログで書いたかもしれませんが)有償のサービスを提供しています。サービスの中身は「エンジニアの技術力、コンサル力」といったものになります。私自身も非常に高額な契約額のサービスにアサインされるので、非常にプレッシャーな訳です。なんせ、お客さんからすると高いお金を払い、そこに出てきたエンジニアはCCIEなんて持ってるわけですから。お客さんの期待値は非常に高いのです。

なので、自分が最後の砦になって対応する場面が多々あります。答えがなく、自分が腹をくくるということもあります。そう言った経験をしてくると、(普通の事なんですが)自ずと自分の発言に対しては重い責任を持たないといけなくなります。必然的に物事を発言する前には、


「これを言ったらお客さんはどう思い、どう返してくるか、どんな影響が出るか」


を自然と考えるようになります。私はこういう経験を積んできた結果、自分の発言に責任を持つということは当たり前と思ってきました。

ところが、未確認情報、裏の取れていない情報、先の展開を考えていないパッと思いついた事を何も考えずにそのまましゃべってしまい、後で自分の首をしめてしまうという人が意外に多い事がわかってきました。(もっとも、中には自分の言葉がブーメランで返ってきていることすら気付かない人もいますがw)きっと、そう言う人は誰かが尻拭いをしてきてくれたに違いありません。また、そんな助けに気がつかないか、すぐ忘れるタイプなのでしょう。そのくせ、自分の実力だと勘違いする。

そう考えると、確かに自分が最後の砦という位置づけで痛い目を見たことがないと、自分の発言に対する責任とか重みとかってわからないと言う同僚の意見は正しいと思いました。


そこでふと浮かんだのは、ガレージ兵頭さんがブログでよくつかわれる名フレーズ


「最後はCCIEが止める」


でした。これも、最後まで責任を持つという事の一面なんですよね。


まあ、責任というものに対してまっすぐ向き合うか、避けて通るか、その人の姿勢にも大きく関係してくる話であるとは思いますが。


私自身はどうだろう。そうは言ってもまだまだ「最後まで責任をとる」という意識が弱いかもしれません。



ま、結局話にオチがあるわけでもなく、こんな話をしたということだけでした。。


#日々感謝 m(_ _)m