職業としての政治
今日のタイトルだけを見てピンと来られた方!
Yesの方は、すばらしい!きっとたくさん本を読まれている方にちがいありません。
はい、これは本のタイトルです。マックス・ウェーバーという人が書いた本のタイトルです。
2年ほど前に当時の政権にいた仙谷官房長官が、自衛隊を「暴力装置」と発言したことで騒がれましたが、警察や軍隊などの物理的強制力を「暴力装置」と呼んだのがマックス・ウェーバーです。
先日図書館でどの本を読むか物色していたときに、ふとこの本が目に留まりました。ページ数も100ページ余りと薄い。これなら軽く読めるかなと思って借りてみました。
さてこの本を読むにつれ、まるでこの本の中身がいま現在の政治状況を分析しているかのような錯覚に陥りました。今の日本の政治にぴったりと当てはまる内容があまりにも多いのです。ちなみにマックス・ウェーバーは19世紀から20世紀初期の方です。
少しだけ文章を紹介してみよう。こんな感じです。
「・・・政治家の活動には、不可避的な手段としての権力追求がつきものだからである。その意味で「権力本能」−−−と一般に呼ばれているもの−−−は政治家にとっても実はノーマルな資質の一つである。−−−ところがこの権力追求がひたすら「仕事」に使えるのではなく、本筋から外れて、純個人自己陶酔の対象となる時、この職業の神聖な精神に対する冒とくが始まる。政治の領域における大罪は結局のところ、仕事の本筋に即しない態度と、もう一つ−−−それといつも同一ではないが、しばしば重なって現れる−−−無責任な態度の二種類にしぼられるからである。虚栄心とは、自分というものをできるだけ人目に立つように押し出したい欲望のことで、これが政治家を最も強く誘惑して、二つの大罪の一方または両方を犯させる。・・・」
この本、途中で章が一切ありません。最初から最後まで一つの文のような感じでしょうか。
政治の本質というものは、いつの時代も同じで変わらないということをこの本は再認識させてくれました。
あーー、眠い。
だめだ、これ以上書けないや。書きたかったが。。まあ、気が向いたらあとで書き足そう。
今日はこの位にして寝たいと思います。
おやすみなさい。
#日々感謝 m(_ _)m