YO茶の足跡残す日記

日々感謝の気持ちで、思う事をいろいろ書いていきます。

「ぼくらの祖国」を読んで思ったことを徒然なるままに

昨年末、祖国をテーマにしたある書籍が出版されました。それは、青山繁晴さんが書かれた


「ぼくらの祖国」


です。


これまで様々な本を読んできましたが、これほど自分の根底を揺さぶられた本はありません。どうぞ、この本を読んでみてください。必ず自分の根っこを考えるきっかけになるはずです。


ここからは、「ぼくらの祖国」を読んで感じた事を思うがままに書いています。脈絡なく書いていますが、お許しを。




「祖国(そこく)」


皆さんはこの「祖国」という言葉を普段使われることはありますか。その意味を辞典で調べると、


・祖先からずっと住んできた国。自分の生まれた国。母国。


とあります。自分が生まれた国を表す、普通の言葉です。



しかし、現代においては、この「祖国」という言葉を公の場で使うと何やら右翼だとか、右寄りの人だというようなイメージで見られる風潮にあります。全く笑ってしまう話です。自分の国のことを表すだけの言葉なのに。



私は小さい頃から日本は戦争に負けた後、軍隊を持たず平和主義を掲げ、経済成長によって戦争のない平和な世界になったと教わり、またそのように認識していました。そして軍隊をもたない平和主義を掲げた日本国憲法は、世界にも類を見ない、すばらしい憲法であると信じて疑ってきませんでした。



皆さんの中にもこういう風に教えられ、育ち、そして今もそういう認識の方は結構おられるのではないでしょうか。いや、大多数はそうでしょう。



しかし、日本は本当に「平和」なのでしょうか。



日本は、いまだ北朝鮮との間に拉致問題を抱えています。普通に生活していた日本国民が、突然他の国にさらわれてしまっているのです。そして、その拉致された方々は未だ帰国を果たせていない。平和だと思っているのは、たまたま拉致されたのが自分や、自分の身の回りの親しい人でなかっただと気付かされました。



戦争というと、太平洋戦争の時の多くの兵隊と兵隊が直接戦うような戦闘をイメージします。しかし、日本という主権国家に対し、よその主権国家工作員が潜入し、拉致してしまうというのは、まさに「戦争」だと青山さんは言います。確かにその通りだと思いました。簡単に突然自分がさらわれるかもしれない。これで平和と言えるのでしょうか。



なぜ北朝鮮は拉致を平然と行えたのか。



それは、日本に軍事力がないからです。自衛隊があるじゃないか、と言う人もいるでしょうが、自衛隊は他国に対して軍事力を行使できません。たとえ、自国民が拉致され、それを奪還するためであってもです。日本国憲法によって戦争行為を行わないことが定められているからです。



視線を世界に向けてみましょう。自国民が他国から攻撃される、拉致されるといったときに攻撃を許されていない国が他にあるでしょうか。


ありません。なんと、日本だけなのです。



軍事力による攻撃がないとわかっているから、安心して北朝鮮は拉致を行ったわけです。



日本国憲法という理念を持ってはいるが矛盾もあります。まず自衛隊。これは世界からするとどう見たって軍事力です。また戦後、共産国からの日本への軍事進行がなかったのは在日米軍の存在が大きいのです。結局、「軍事力」によって守られていたのです。時の内閣はその都度自衛隊の存在と憲法の相反する内容について、あれこれ小難しい解釈で逃げようとします。



昨今の政治を見てください。外交を見てください。やられっぱなしです。特に隣国からはやられっぱなしです。なぜでしょうか。それは、日本に軍事力がないからなのです。決して、こちらから戦争をしようと言っているのではありません。外交において、軍事力がバックになければ有利に進めることなどできないのです。「その気になればやってやるぞ」とちらつかせることができる戦力です。



僕らは、それを持ってはいけないと教わってきました。なぜなら太平洋戦争で負けたからです。しかし、ちょっと待ってください。世界を見てください。戦争に負けたからと言って、日本のように長年軍事力を持ってはいけないと、保有しない国がありますか。ありません。なぜ私たちがこういうように思い込んでしまったか。



それは、「有史以来、日本は外的に戦争で負けたことがなかった」からだと青山さんは言います。負けたことがなかったから、私たちは戦勝国の言う事を聞いておかなければいけない、と思い込まされて来たのだと。



確かにそうだ、その通りだ。



どの国も、いちばん基本中の基本は、まず「自分の国を愛すること」なのです。その上で、この国をどうしていくかということで右寄りだったり左寄りだったりという議論になるのだと。自分の国に誇りを持つこと。愛すること。今の日本人、いや、戦後の日本人はそれを教わってこなかったがため、今のような国体に帰結したのだと強く思います。


日本は、世界の中でも最も多い領土紛争を抱えている国です。北方領土(国後、択捉、歯舞、色丹だけではありません。本来は南樺太と千島列島も対象なのです)、竹島尖閣諸島です。



国を愛するという気持ちが薄ければこれらの領土、特に小さな島のことなどどうでもいいじゃん、と思ってしまうことはある程度仕方のないことだと思います。なんせ、自分も含めそういう風に教育されてきたから。しかし、自分が大人になり、子供をもち、世の中の仕組みやものごとがわかるようになり、この本に出会って、考えに考えさせられました。



みんな薄々感じているはずです。このままじゃいけないよな、と。



日々の生活は忙しいです。私だってそうです。けど、日本の根っこを見つめ直す作業を行わないと、自分達の子供が大きくなるころにはこの国がなくなっているかもしれないと思うのです。しかし、私の思いはシンプルです。


「自分の子供達がこの国に誇りを持ち、愛し、そして幸せに暮らしてほしい」


考え方は人それぞれでしょう。しかし、日本に住んでいる限り、この国を愛するということは、共通の認識としてあるべきだと思うのです。


私は、そのために日本国憲法改憲があるべきだと思っています。自民党が4月28日を目途に改正案を発表すべく作業を進めているはずです。それが皆の中で日本の根っこを考えるきっかけになればいいなと思っています。


ひとつだけ懸念があります。日本人は「空気」というものの存在に支配されると、そこから逃れられなくなり、それが故に皆が一つの方向にダーッと傾いてしまうのではないかということです。その「空気」からの支配の克服はなされなければなりません。そこが私が怖いと思っていることです。



ふぅ。


今日はとてもよい天気です。桜も満開。


桜を見ていてふと、書きたくなっていろいろ書きました。


最後に改めて、「ぼくらの祖国」是非ご一読ください。


ではー。



#日々感謝 m(_ _)m