YO茶の足跡残す日記

日々感謝の気持ちで、思う事をいろいろ書いていきます。

映画「遺体 明日への十日間」

SNSへのある書き込み。それは、私が尊敬する方の書き込みでした。常に問題意識を持ち、どんな方であっても是々非々で接されるこの方が紹介されたのは、ある映画でした。そのタイトルが、今日の表題にしている


「遺体 明日への十日間」


私は、この映画のことを全く知りませんでした。おそらく、テレビやメディアでもそれほど宣伝されていなかったのではないかと思います。私よりもテレビを見る妻がその存在を知りませんでしたからね。製作はフジテレビなのに不思議でした。


その方が、予告編のリンクを紹介されていましたのでどんな映画なんだろうと思ってみてみました。その予告編を貼付けておきますね。






衝撃が走りました。



テレビの報道で見て知った「つもり」になっていた東日本大震災津波のすさまじい映像はたくさん流されました。Youtubeで検索すれば、その映像は今でもたくさん公開されています。しかし、その津波で命を奪われたあまりにも多くの方々を見つけ出し、荼毘に付されるまでの間、当然ながら一時的にご遺体を安置する場所が必要で、そういった場所で何があったのかということなどはメディアや映像では伝わってきません。



この映画は、廃校となっていた学校の体育館につくられた仮設遺体安置所が舞台となります。遺体を発見し、搬送する市職員、消防団、警察。遺体の管理を行う市職員、ボランティアの民生委員。検死を行う医師、歯科医師。大量の棺の手配を市から依頼される葬儀社、家族を探しにくる方々、読経をあげにこられる住職・・実際釜石市であったことをあるジャーナリストが取材した内容をベースにこの映画は作られています。


予告編の中で沢村一樹さんが演じられる市職員が、遺体をトラックからおろす際、遺体を落としそうになった人達にさけびます。


「丁寧に扱ってくれよ!自分が同じことされたらどう思うよ!」


この言葉に心が震えました。東日本大震災から2年。あのときの震災に対するおもい、東北に対する思いが薄れてしまっている自分に気がつきました。



これは見なければいけない。



心の底からその思いが沸き上がってきました。自宅近くの映画館を検索したら、なんとほとんどの映画館で3/22が上映最終日なのでした。しかし、浦和美園の映画館は18時40分からの上映。よし、これなら間に合う。


午後休をとっていたこともあり、妻に事情を話し、映画館に車を走らせました。


最終日、ひょっとしたら自分ひとりしかいないのでは、とも思ったりしましたが、20名弱位の人が見に来られていたでしょうか。


ほどなくして、映画が始まります。映画の細かいストーリーや、俳優さんの演技や、そんなことをどうこう書くつもりはありません。ただ伝わって来たことは、あの震災で、報道では決して伝わってこなかった被災者の悲しみ、絶望、不安、いらだちといった感情でした。そして、何よりも信じられないほど多くのご遺体が運び込まれても大切に取り扱うその姿に私は涙せずして見る事はできませんでした。


いや、ここで「涙した」というような事すら、実際に経験していない私が表現してしまうと陳腐な感想になってしまい、簡単に書いてはいけないんじゃないかと悩みました。しかし、それでも書かずにはいられません。泣きました。



人は必ず死にます。科学的には、人は死んだらただの物体と化します。しかし、それは絶対に違います。主人公である民生委員役の相葉さん(西田敏行さん)が言います。


「あの方々は死体ではないですよ。ご遺体ですよ。」


「にんげん」としての尊厳は、生きようと死のうと、存在するものなのです。だからこの相葉さんは、ご遺体を番号ではなく、名前で呼ばれ、毎日生きている人と同じように話しかけられます。



あのような状況でも、一人一人の「にんげん」の尊厳を守れるのか。自分にそれができるかのか。考えさせられます。



この状況は、いつ自分が遭遇しても不思議ではありません。この映画は、未来の自分の姿なのかもしれません。



この映画には、東日本大震災の教訓、死のうともにんげんに対して持つ尊厳をもつ日本人の姿が描かれています。人によっては思い出したくない過去を呼び起こさせるような内容だと思います。ですから、今すぐすべての人に見てほしいとは簡単に言うことはできません。



しかし、それでもできるだけ多くの人に見てほしい。



この映画は、まだ上映される映画館もあります。さいたまでも4月から上映する映画館があるのですね。(情報はこちらです。)





2009年8月9日、私の故郷である兵庫県佐用町は、すさまじい集中豪雨の被害を受け、町の目抜き通りである商店街をはじめ、多くの家屋が浸水。また犠牲者も出ました。私の実家も浸水し、帰省して復旧の手伝いを微力ながら行いました。このときの様子も、現場に行かなければわからないすさまじいものがありました。津波の犠牲は、そんなものではなかったのだと思うと、本当に自然の力に対するにんげんの無力さを感じます。



集中豪雨による水は、きれいな真水ではありません。泥水なのです。しかも、下水が混ざってくるのです。ですから後に残るのは異臭と泥。夏だったので、乾燥して町中は埃が舞い上がります。すさまじいハエが発生します。こういうことは被災地にいかないと、言葉だけでは決してわからないことでしょう。津波は海水ですし、広範囲で被害をうけていますからガソリンのような燃料も混ざったりしているでしょう。その匂いは相当なものだったと思います。



わが故郷佐用は未だ復興の途上です。東北に至ってはまだまだ何も始まっていない。自分に何ができるのか。2年経過し、薄れて来た東北だけではなく、わが故郷のことについても自分の目を覚ませてくれる作品でした。



どうか、この映画を見てみてください。日本人として、大切なことはなにかを考えるヒントになるのではないかと思います。





#日々感謝 m(_ _)m