YO茶の足跡残す日記

日々感謝の気持ちで、思う事をいろいろ書いていきます。

進み続ける事と立ち止まる事

ゴールデンウィーク、妻と子供は帰省しました。一人になって、新たに近所で発見したスーパー銭湯で、ゆっくりと露天風呂に入りながら物思いにふけることができました。



自分の人生、これまでなんだかんだ長期間「立ち止まる」ということはなかったように思う。特に30代からはその歩みというものを意識するようになった。



この「進む」、「立ち止まる」ということはとても主観的で抽象的なものであり、何をもってそうなのかは人によって違う。自分の場合「学ぶ事、働く事」という事がその一面だと思う。(あくまで一面である。)それは、自分が成長できる、最も効果的な手段だからだ。



学校−>就職−>転職−>現在。まだ止まっていない。進み続けている。



では立ち止まる事があるとしたら、それはいったい何だろう。



不慮の事故や病気などで働きたくても働けないような場合がある。幸い、大病もなく、進み続けていることができている。自分の意志で立ち止まることがあるとしたらどんな場合があるだろう。会社を辞めて、次何かを始めるまでに一端何もしない状態でいる。それも1年位。それが「立ち止まる」ってことか。



「立ち止まる」ということは、大事なのだろうか?仕事や日々の生活の中で、「ちょっと」立ち止まって見ることはとても大事だと思う。もっと大きなスパンで3か月とか、半年とか立ち止まることはどうなんだろう。



仮にそれが大事なことであったとしても、きっと今選択することじゃないなぁ。



一度だけ、会社を3週間休んだ事がある。ただ、その時もただボーっとして何もしていなかったということではなく、少しばかり英気を養ったあと、結局勉強していた。



きっと、働くことを一旦立ち止まったときにはおそらく「本を読む」と思う。毎日、図書館通いになるかもしれない。それはそれでありだ。



しかし、ただ読んでいるだけでは意味がない。次のステップのために本を読むのである。そういう考えを持つということはきっと「立ち止まる」ということにはならないのかもしれない。


半年、読書漬けの日々を送りたいなぁ。



思えば、学生時代にはそういう時間があったんだよなぁ。大人になってからあの頃の時間の大切さを痛感している。



そういえば、前職時代、九州のスーパー銭湯で青空を見ながら自分の将来についてあれこれ考えていたことをふと思い出した。なんかシンクロした。時々こういう感覚を経験することがある。



実は、ある予感がある。



今年中に、きっと小さいけど、自分にとって新しい事が起きる。それによってすぐ何かが変わるわけじゃない。しかし、それは来年以降、この先の人生に大きく影響する。そんな予感だけはしている。自分のそういう予感は割と当たる。



いやー、自分はやっぱりスーパー銭湯が、というかお風呂が好きみたいだ。すごくリラックスできた。



とまあ、今日はまとまりのない文章でしたがご容赦を。





日々感謝 m(_ _)m