YO茶の足跡残す日記

日々感謝の気持ちで、思う事をいろいろ書いていきます。

「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」読了

先日のブログでも紹介しましたが、青山繁晴さんの新刊、「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」を読了しました。


そこでも触れた通り、今回の新刊は、豪華客船日本丸小笠原諸島を周るクルーズの中、目玉企画として行われた青山さんの講演会の内容を収録されたものです。ただし、講演会の録音から書き起こししただけの本ではありません。



実は青山さんにしてみると、講演会でしゃべった内容を本にすることのほうが地獄の苦しみなのだそうです。青山さんがおっしゃるには、講演会では話し言葉を使って表現されるため、その言葉をそのまま本にすることはできないのだそうです。なので、話した内容を一行一行、本に残すための文字に書き換えて行きます。これがとてつもなく地獄なのだそうです。



本の内容自体は、これまで青山さんが何度も何度も講演会やテレビ、ラジオなどの媒体でお話されてきたものです。小笠原諸島にある硫黄島(いおうとう)。現在、この島には一般人は立ち入る事ができません。表向きの理由はいろいろ言われていますが、それでは島全体が立ち入り禁止になっている理由にはなりません。硫黄島には、島全体を立ち入り禁止にしなければならないような不都合な事実が隠されているのです。



硫黄島は、日本史上初めて、日本の国土を他国の軍隊(アメリカ軍)に占領された島です。それは、B29で日本を空爆するにあたっての補給拠点とするにはうってつけだったのです。丁度品川区と同じ位の大きさなのですが、摺鉢山という山以外は大部分が真っ平らな平地の島なのです。つまり、滑走路を作りやすい地形なのです。



この島に、日本兵2万1千人が派兵されました。当時、いわゆる職業軍人と言われる方々はせいぜい1000人ほどしかおられませんでした。残りは私たちと同じ一般の国民だったのです。島に身を隠せるようなものはありません。そんな場所で、私たちの先輩方は、実に36日間もの間、アメリカ軍に占領されずに戦い続けられたのです。



硫黄島が占領されたら、アメリカ軍はB29の補給拠点として日本に大量の爆弾を投下することが出来るようになります。アメリカ軍は、なかなか降伏しない日本に対し、日本の未来への命をつないでいく女性や子供を殺害することで戦意を喪失させ、早期降伏をうながそうと考えていたのです。



当時硫黄島の戦闘を指揮された栗林中将は、バンザイ攻撃や自決を禁じました。自分達が1日踏みとどまって戦うことで本土の女性や子供たちは1日生きながらえることができる。そうすることで、未来への命が1日でも長くつながる。自分達はこの島で死ぬ。であれば、自分達の子孫を少しでも生きながらえさせるために戦おうと説得し、アメリカ軍が5日で占拠できると見積もっていた戦いを、実に30日以上も引き延ばしたのです。アメリカ軍の死者は日本軍の死者を上回る2万8千人。まさに太平洋戦争の中では最大の激戦地だったのです。



激戦の末、硫黄島はアメリカ軍が占拠。早速滑走路の建設に着手しました。それも多くの日本兵の死体が横たわる地面の上に。


戦争が終わり、硫黄島が日本に帰って来たとき、日本は何をしたか。あろうことか、その滑走路をそのまま使い続けているのです。そのまま使ったほうが便利だからです。

そのため、まだ1万体以上のご遺体が滑走路の下に残ったままだと言われています。



この、政府にとって不都合な事実を知られたくないから、硫黄島はいまだに立ち入り禁止なのです。


青山さんは、クリントイーストウッドが監督した「硫黄島からの手紙」という映画を撮影した際、1日だけ硫黄島にはいって撮影したことを知り、関係省庁に交渉、1日だけ島に入って島のあちこちを見てこられました。その経緯や島の様子、さらには硫黄島から生還された方との会話など、一行一行読み進めるたびに自分の襟を正して読まねばという気持ちが強まって行きます。



私は、薄い知識として日本軍がいろんな場所で戦ったことは知っていましたが、ひとつひとつの戦いの詳細や意味までは知りませんでした。教わる事も、自分で調べることもありませんでした。硫黄島の戦いもまたしかりです。かつて青山さんが硫黄島について語られていたある動画(この動画が青山さんとの出会いだったのですが)をインターネットで初めて拝見し、涙が止まりませんでした。


今回、このクルーズでは、実際に硫黄島の周りを周回しながらその話をされています。本当ならそのクルーズに参加したかったです。でも、この本を読むと、まるで自分が日本丸に乗って、青山さんの講演会を聞いているような感覚で読み進めることができました。



硫黄島は、私たち日本人が生きるヒントを与えてくれている、と青山さんは言い続けてこられました。そこには、自分のためではなく、将来の日本人、つまり私たちのことを思って戦い、命を落とされた方々がおられたのです。無私の心。それは日本人の中に脈々と流れている生き方なのだと思うのです。その象徴が天皇陛下なのだと思います。



東日本大震災が発生した際、南三陸町で、津波が襲ってくる直前まで避難の呼びかけ放送をし続けたため、逃げ後れて亡くなられた三浦毅さんと遠藤美希さん。お二人の姿と硫黄島で戦った先輩方。自分のためじゃない、人のために事を成すという生き方がいまも受け継がれていると青山さんはいいます。



戦争で亡くなられたのは硫黄島だけではありません。この本では、沖縄の白梅乃塔の話も少し出てきます。今年YO茶は沖縄へ行き、ようやく白梅乃塔へお参りに行く事ができました。それだけに、白梅のくだりはより心に沁みわたる思いがしました。
この写真は、今年6月に沖縄を訪問したときに撮影した白梅乃塔です。



青山さんがこれまでに書かれた書籍の中で、「ぼくらの祖国」という本があります。この本と合わせて読まれると、自分が何のために生きて来て、なにをなすべきなのかを考えるヒントになると思います。



一度読んでみられてはいかがでしょうか。



硫黄島。必ず一度は訪れたいです。そして、英霊の方々に祈りを捧げたいと思います。



#日々感謝 m(_ _)m