おばあちゃん(少し加筆しました)
YO茶でございます。今日はもうひとつパッとしない天気ですね。でも気温はそこまで高くなく、過ごしやすいです。朝からずっと気になっていたリビングの窓ふきと網戸の水洗いを実施。網戸を取り外せる事に気付いたのがほん最近でして、初めて取り外して洗いました。
いやー、流れる水の黒いこと黒いこと。おかげでリビングが明るくなりましたね。(マジで)
さて、今日は敬老の日です。敬老の日ということにちなんで、私の祖母の思い出話を少し書きたいと思います。
祖母は、私が高校を卒業して大学へ進学するまでの18年間、実家で一緒に暮らしてきました。大正三年生まれの祖母は、大東亜戦争を経験し、戦後、高度経済成長と激動の時代を生き抜いて来ました。そんな祖母の印象は、とにかく怒らなかったということです。いつも笑っていたように思います。
少なくとも私は祖母に怒られた記憶はありません。実家はいわゆる街の電気屋さんで、父と母は実家から少し離れた場所にあるお店で働いていました。なので、平日の私や兄、弟も含め家族の夕食はおばあちゃんが作ってくれていました。そして日曜は母が作ってくれるというのが暗黙のルーチンだったように思います。
おばあちゃんには八つ当たりしたこともあったり、母親に内緒でこっそりお小遣いをもらったりしていました。
おばあちゃんは、足が悪く、歩く時はなんというか痛みをこらえてゆっくりと歩くような感じでした。今にして思えば、おばあちゃんの足のことなぞ子供の私はそれほど気にもしていなかったなぁ。なので自宅の階段を上がるのも、おばあちゃんにしたらとてもつらいので、よほどの用事がなければ上がらないような感じでした。
私が高校の頃です。学校でちょっとむしゃくしゃすることがあり、すごく不機嫌な状態で自宅に帰りました。自宅に帰るとおばあちゃんが「おかえり」といつものように言ってくれたのですが、それを無視して2階の自分の部屋に上がってふて寝していたのです。すると、かなりの時間がたっておばあちゃんが部屋にやってきました。
私はびっくりしました。これまでおばあちゃんが部屋に来た事が一度もなかったからです。そして、私の姿を見て、
「あぁ、よかった。なんも言わんとすーっと上がって行ってなんもきこえんからなんかあったんかとおもたわ」
といつもの笑顔です。
この時、私はあぁ、本当に申し訳ない事をした、と思いました。おばあちゃんは何も悪くないのに無視をしてしまったこと。そして心配させてしまい、足が悪いのに2階までこさせてしまったこと。自分の態度に後悔しました。
それでも、その頃は素直になれず、
「大丈夫やからほっといてーや!」
とどなってしまいました。おばあちゃんはだまって下におりて行きました。
この件、なぜおばあちゃんが来たのかは、ずいぶん後になってからいろんなおばあちゃんが経験してきた事を聞き、分かった気がします。(それがなんであったかはごめんなさい、ここでは書けません。)
本当に、ごめんなさい。心配かけてしまって。
この年になって、あのころどれだけ甘えていたのか、痛感します。もしも自分がやられたら激怒するだろうなというようなこともやっていたように思います。
おばあちゃんが作ってくれた親子丼、絶品だった。
おばあちゃんがつくってくれたおでん、最高だった。
おばあちゃんが七輪で焼いてくれたうなぎ、おいしかった。
おばあちゃんがにぎってくれたおにぎり、握力がよわくてもろかった。
もう一回食べたいなぁ。
2008年10月、おばあちゃんは長い長い寝たきり生活から開放され、天に召されました。(そのときに書いたブログがこちらです。
おばあちゃん、YO茶はもう44歳です。家庭ができて、2人も子供ができてます。育て方はいつも迷うことばかり。いろんなことには怒ってばかり。
どんなことにも笑顔で、そして信心深かったおばあちゃんがこの年になって、すごい人だったんだな、とわかってきました。
おばあちゃん、YO茶はおばあちゃんから見て今も良い孫かな。
と、とりとめもなくおばあちゃんのことを書いてしまいました。
#日々感謝 m(_ _)m