「ありたい姿」と「あるべき姿」(一部削除しました)
YO茶でございます。
まだまだ寒いですね。もうそろそろ暖かくなって、ぼちぼちランニングを復活させたいです。
さて、自分の「ありたい姿」と「あるべき姿」について少し書いてみたいと思います。
この2つの姿、同じようで同じではありません。
この二つには、大きな違いがあります。
前者は、「自分自身が心から望んでいる」姿。後者は、「自分が置かれた環境や状況を考慮し、こうしたほうがより良いと理屈で導き出した」姿です。
ありたい姿とあるべき姿が一致したら、これはもう迷わず進めますね。かなりラッキーな方だと思います。
ところが、
「本当はxxxになりたいんだけど、今の会社や家族、友達の目を考えたりすると、とても無理。〇〇〇になるのがいちばん丸く収まるし、周りも幸せだよな。」
という風に、自分の事は後回しにして、周りの事を考えて行動する方、結構多いと思います。社会で生きていくということは、こういうことなんだ、と妥協するんですね。
でも、ちょっと待ってください。
そもそも、自分の幸せは後回し、周りのためにひたすら腐心し、結果自分の心はどこか渇いている。そんな状態で、本当に周りの人を幸せにしてあげられるでしょうか。私は、否だと思います。
後者のように生きていくのは、以外と簡単だと思います。前者の生き方には、往々にして覚悟が必要になると思います。
「ありたい姿」になれないって、誰が決めたのでしょうか。あきらめたのだとすれば、それは自分自身。
「ありたい姿」が今の延長線上にはなく、新しい道へ進まねばならないと言う時、覚悟を決めなければなりません。そうすると、過去のいろんな栄光や、名声や、積み上げてきたものを手放すことが出てくるかもしれません。
それでも、そんなすべての経験に感謝し、新しいチャレンジができることに感謝し、困難も感謝することで、前に進めるのだと思います。
自分が「あるべき姿」を追い求めている時には、ちょっと立ち止まって考えてみたほうがいいかもしれません。
「そのまま進んで、自分は本当に心から幸せだと言えるか?」
と。
日々感謝 m(_ _)m