YO茶の足跡残す日記

日々感謝の気持ちで、思う事をいろいろ書いていきます。

親父の一周忌

ちょうど1年前、親父が亡くなった。

もう1年が経ったのか。親父が亡くなってからの数ヶ月は、本当に「凄まじい日々」であった。私はまだ良い。一緒に生活していた兄はもっと凄まじい日々を乗り越えていった。これまで親父と一緒にやってきた電気店を廃業し、様々な処理をひとつひとつ誠実に対応していった。

遠方に住んでいるため、緊急事態のときにすぐに駆けつけることのできない自分の状況を何度となくもどかしく感じる日々だった。そこは自分よりも実家の近くに住んでいる弟がフォローしてくれた。

親父が亡くなって最も心の整理に時間がかかったのは母親であったと思う。いや、まだ整理はできていないであろう。それはそうである。何十年と一緒に生活してきたわけだから。それだけに、突然の死に対し、悲しみだけでなく、ある種怒りに近いような感情をもってしまうことは仕方のない事なのかもしれない。
ただ、私は初めて母親の「本心」というものを見たような気がする。これまでは決して子供の自分たちには見せる事のなかった面であった。

そんな母も今は老人ホームに採用され、嘱託として働いている。母の年齢で就職できたことは本当に奇跡に近いことだと思う。今はいろんなことを振り払うように日々仕事に励んでいる。

兄も廃業して3ヶ月程した後に再就職先が決まり、今もその会社でがんばっている。


まだいくつかの課題は残っている。そして、少なからず親父の死を境に、人間関係の変化がいろいろな意味で顕在化したものもある。人間同士のことは周りが介入してどうこうなるものでもないことが多い。それをどうできるものでもないが、自分が母親のためにしてあげられることはできるだけしてあげたい。


結局、親父には親孝行らしいことは何もしてあげられなかった。今住んでいる家にも結局来てもらう事はかなわなかった。
本当にまじめで、仕事一筋の親父だった。毎日毎日、コツコツと仕事をしている姿が何よりも思い浮かぶ。酒も飲まない。ギャンブルもしない。もちろん、女遊びなどしない。着ている服はいつも作業着。自分のおしゃれなどにはお金をかけることがない。本当に仕事の人だった。

言葉少なく、親父とはいわゆる大人の会話をすることは結局果たせなかった。親父には、自分はどううつっていたのだろう。


今だから強く思う。親父とゆっくり話してみたい。けどそれはもうかなわない。





#日々感謝 m(_ _)m