YO茶の足跡残す日記

日々感謝の気持ちで、思う事をいろいろ書いていきます。

原発デモから思ったこと

大飯原発再稼働反対を訴え、6月29日に首相官邸で大規模なデモがあった。主催者側発表によると参加者は15万人〜18万人とのこと。(実際にはそんなに多くはないだろうけどw)


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こう言う事態を引き起こしてしまったのは、すべからく政府の情報開示や基準策定の対応の遅さに起因する「人災」の帰結だと考えている。


そもそも、原発を停止する際、なぜ3.11の教訓を反映させた上での「新基準」を仮でもいいから早く設けなかったのか。(これら基準を検討する原子力規制庁はまだ法案審議中)


停止・稼働の安全基準を早々に示さなかったから、国民は不安になった。基準のない中で判断しないといけないから物事を0か1でしか考えられなくなる。福島原発のような事態が「今後絶対起きない」なんて誰も言えないから、それならば止めてしまえという選択しかなくなる。それが今のデモにつながったと思っている。


安全基準。それが出てきて、どの原発が危険なのか、稼働するなら何が必要なのか、そういったことが検討されてからでないと、判断のしようがない。あの適当な安全保安院の判断結果なんて、いまさら誰が信用できるか。


原発を停止したとしても、燃料棒は冷やし続けないといけないわけで、完全に廃炉となるまでには長い年月がかかる。停止状態であっても3.11と同じ津波が襲ってきたら完全にアウトである。停止しても何ら問題は解決していないのだ。


そして、全く議論されていない重要なことは、


「使用済み核燃料の最終処分をどうするのか」


ということである。



これは原発推進だろうが、原発反対だろうが、避けて通れない問題である。高速増速炉「もんじゅ」が動かない今、使用済み燃料の処分は最大の問題である。(もんじゅが動いても、結局最終処分場所は必要なのだが)



どこかの地中深くに埋めるしかない。それをどこにするのか。先送りできない問題が残されている。



大飯原発同様、他の原発もなし崩しで稼働しないか。今となっては、それは許されない。繰り返しになるが、福島の教訓を活かした基準を作成し、それをもとに判断しなければならない。



ただ反対と叫ぶだけではだめで、廃炉に向けてクリアしなければならない問題は山のようにあるのだ。



視点を変えて、安全保障の観点から考えると、原発をゼロとしてしまってよいのかという問題もある。原発があるということは、核開発をやろうと思えばやれるんだぞという外交カードとなる。


あらゆる面から考えたうえで総合的に判断しないと、この国は行き先を誤ってしまう。




日々感謝 m(_ _)m