YO茶の足跡残す日記

日々感謝の気持ちで、思う事をいろいろ書いていきます。

終戦の日、そして靖国参拝

今日は終戦の日。日本があの太平洋戦争(日本ではこの戦争を大東亜戦争と呼んでいました。)に負けた日です。日本武道館では例年とおり、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が開かれました。



この時間、私は会社で仕事でした。ですので、お昼休みを使ってニコ生で中継を見ておりました。



正午には、1分間の黙祷。



静寂な時間が流れます。そして、あの戦争で戦い、亡くなった先輩方に対して祈りを捧げます。今年は沖縄に行き、女子看護隊の慰霊碑や戦跡を回って来ただけに、特に沖縄戦で若くして命を落とす事になった女子看護隊の皆様に対して祈りを捧げていました。どうか安らかにお眠りください、と。



そして仕事を早めに終えて、靖国神社へ行ってきました。六本木からは、大江戸線青山一丁目乗り換え、半蔵門線で九段下までいきます。結構早く到着しました。


九段下駅から靖国神社へ。驚く程多くの方々が参拝されています。私の感覚かもしれませんが、私よりも若い世代の方々が多かったように思います。それも、ものすごく多くの人達が参拝のために行列を作っているのです。中には小さなお子さんを連れてこられている親子も結構いました。


この様子は、メディアと思われるカメラで撮影されています。けどこの、大勢の日本人が、終戦の日靖国神社を参拝している、それもSNSの友達の投稿によれば、それは朝からずっと続いているという事実を、私は長い間知りませんでした。新聞も、テレビも、そんな様子は決して報道しません。


あの大東亜戦争の意味、そして靖国神社という存在とその意義。学校で教わったことや、テレビ、新聞で覚えて来たことだけでは、この参拝の意味は理解できません。



参拝されている人々の思いは様々でしょう。戦争に対する評価も様々でしょう。しかし、少なくとも、将来の子孫、つまり私たちのために戦い、命を落とされた方々に感謝し、祈りを捧げることはどんな思想をもっていようと受け入れられることだと思うのです。でなければ自分が今ここに存在できていなかったかも知れない訳ですから。



SNSの友達の中には、本殿での参拝(昇殿参拝といいます)をされた方々もおられましたが、私が到着したのは午後5時過ぎ。残念ながらもう終わっていました。ですので、拝殿での参拝となります。ここには実に多くの方が並んでいます。西日がきつい。しかし、皆無言でゆっくりと順番を待ちます。割り込みをする人なぞ、だれもいません。こういうところが日本のすごいところなんだろうなぁ、と思いました。特に誰からこういう風に並べといわなくっても自然とできちゃうんですからね。



そして私の番が回ってきました。今回、改めて英霊の方々へ祈りを捧げると同時に、今回は不思議と、私の祖父、祖母に祈りを捧げました。2人とも戦争ではなくなっていません。しかし、祖父は海軍に配属、あの激烈な戦争を生き抜いて帰ってきました。祖母もあの戦争を生き抜いて来たのです。私にすれば、感謝の気持ちを捧げるという意味では靖国の英霊の方々となんら変わりません。むしろ、これまで靖国参拝時、祖父、祖母のことを思わなかった自分を恥ずかしく思いました。



現在の日本の繁栄があったのは、あの戦争で英霊の方々が戦い、私たちの命につないでくださったからです。ありがとうございました。



#日々感謝 m(_ _)m