学ぶ癖
YO茶でございます。
学生の本分は勉強をすることです。これは、昔からずっと変わらないと思っています。
しかし、中には、
「数学だって理科だって、物理だって、そんなの社会に出たら使うことないじゃん。なのにこんなことやっても無駄だ。ならばもっと社会に出てすぐに役立つ実践的なことを学ぶほうがいいよ。」
という人もいます。
その考え方もありだと思います。否定はしません。そういう生き方を決断すれば、それでもいいのだと思います。
しかし、YO茶の考えとしては、やはり学校での勉強はきちんとやるべきだと考えています。
確かに、数学や理科など、授業で学んだことがそのまま役立てられる職業は少ないかもしれませんね。でも、例えば数学を通じて習得するのは、定理や法則そのものというよりも、「論理的なものの考え方」であったり、社会を通じて習得するのは「物事を暗記する行為の練習」であったりすると思うのです。
学生時代に勉強をいっぱいした後、社会に出たらもう勉強しなくてもいいかっていうと、全然そんなことはないですね。むしろ、社会人になってからのほうが、より勉強しないといけなくなったという感覚があります。
人生、一生勉強なんです。
ただ、学生時代に論理的な考え方や、勉強のやり方というものを習慣として身に着けることで、「どうやって勉強すればいいかわからない」と途方に暮れることはないのです。
だから、将来使うことはないであろうと思っても、学生時代は勉強をする必要があるのです。
一日の大部分を勉強に費やせるのは、学生時代しかありません。大人になってからは、勉強時間を作り出すのがどれだけ困難か。仕事が忙しくなればなるほどその時間を確保することは難しくなります。
だからこそ、学生時代のうちに、「学ぶ癖」をつけるのです。
学ぶ癖がつくのであれば、極端なことをいえば、何でもいいと思っています。ただ、学生時代であれば、学校の授業があるのですから、そこに乗っかるのがいちばんいいですよね。
学ぼうという姿勢がある人とそうでない人って、どんなところに違いが出るかわかりますか。
例えば知らない言葉が出てきたときに、それをすぐに自分で調べようとするかどうかです。今のご時世、インターネットでググれば、大概の事はわかります。
調べる癖の無い人は、スマホなどを持っていても、やりません。学生なら、例えば英語の授業でわからない単語が出てきたら、すぐに辞書を引くかどうかです。
この習慣は、後々、実に大きな差となって表れてくると思います。
子供であっても、大人であっても、勉強するということは自分で調べるということから始まります。興味がないと言って聞き流していては何も始まりません。
わからないことがあったら、まず自分で調べましょう。それでもわからなかったら聞きましょう。わからないまま放置していては何も成長がありません。
#日々感謝 m(_ _)m