母親が我が家に遊びにくることになった
来月、9月の3連休に私のお母さんが私の家に来ることになった。
長年の願いが実現する。本当に、本当に嬉しい。
さいたまに今のマンションを購入し、小さいけど自分の城を築いてがんばっている様子をお父さんとお母さんにずっと見てもらいたいと思っていた。
私は、親にものすごくお金を使わせている。
もともと国立大学を目指していたが共通一次に失敗。場慣れの意味で受けた有名難関私立大学1校のみ合格。結局国立の2次試験もすべて不合格。
そして家族会議。
「浪人して再度国公立を目指すか、現役4年で卒業を目指すか。」
浪人しても国立に合格する保証はないということから無理をして当時理系では学費の高いほうだった私立大学に行かせてもらえた。この当時の自分はまだまだ甘ちゃんで、自分の家の状況を考えたら、うすうすきついのかな、位は思っていたが、どの位厳しいものなのかまではいまいちわかっていなかった。今となっては、なぜ奨学金を使わなかったのだろうと後悔している。
そんな甘ちゃんの私でも、絶対に留年などしてはいけないという緊張感だけはずっと持っていた記憶がある。また、安定した会社に就職することも絶対に必要だった。親に心配をかけないために。
今の自分を考えれば、親が私立に行かせてくれたことには心から感謝している。
いろいろあったが、無事現役で卒業。日本の大手メーカーに就職できた。
私は次男なので、就職後は一人でやっていかなければならない、金銭面で親に迷惑をかけることは絶対に許されないと思ってがんばってきた。(結婚のときの結納金と家電製品だけはどうしても譲ってくれなかったので出してもらったが。)
だから、お父さんとお母さんには、どうしてもがんばっている今の様子を直に見てほしかったのだ。
実家へ電話する時は決まって、
「交通費は心配せんでもええから、とにかくきーや。」
が電話の締めの決まり文句になっていた。
しかし、お父さんもお母さんも、決まって言うせりふは一緒。
「いまバタバタしとるから、ちょっと厳しいわ。落ち付いたら行くでな。」
「くそ」がつく位まじめで、コツコツと仕事一本でがんばってきたお父さん。だから仕事をどうしても最優先するお父さんが来てくれるのは厳しいかなあとは思っていた。お母さんはどちらかというと、旅行などは割と好きで、まだお父さんよりは望みがあった。
けど、個人の商売っていうのは本当にたいへんで、バブル後の田舎での商売というのは想像をはるかに超えた厳しさだったと後からわかった。
昨年、突然、本当に突然お父さんが他界した。
お父さんが亡くなってから、店の状況がどれだけ厳しかったかということ、そして兵庫から遠い埼玉まで小旅行するような余裕などまったくなかったことがわかった。
結局、お父さんには、結婚してからの住まいは一度も見てもらえなかった。今でも悔やんでも悔やみきれない。帰省したときに無理やりにでも引っ張ってくればよかった。
だからこそ、せめてお母さんには絶対にきてほしい。その思いがどんどん強くなっっていった。
昨年、お父さんの他界、集中豪雨による被災など本当にいろんな事が重なり、私自身も1年は喪に服すという気持ちもあり、とても埼玉にきてということは言えなかった。
1年以上が過ぎ、ここにきてようやく実家も落ち付きつつある。お母さんも「来てみようかな」という余裕が出てきた。
そう思っている時に行動しなければ、次のチャンスはいつ来るのかわからなくなる。ひょっとしたら、これが場合によっては最後のチャンスになるかもしれない。
自分が自立して、自分の家を持って、しっかりやっていることが一番の親孝行なのかもしれないけど、その様子を見てもらいたいんだよな。自分のエゴかもしれないけど。
お母さんが家にきたら、とびきりのもてなしをしてあげたい。
電話で何をしたいか聞いたら、遠慮がちに
「この前テレビで見てはとバスツアーみたいなのがええなあとちょっとおもたんや。」
了解!まかせといて!とびきりの旅を用意しとくから!
#日々感謝 m(_ _)m