YO茶の足跡残す日記

日々感謝の気持ちで、思う事をいろいろ書いていきます。

大先輩Mさんへのトリビュートレター(少し修正しました)

私が今の会社へ転職できたのは、いくつかの縁とタイミングが絶妙にあいまって実現したものです。なんせ、10年前に入社したての自分は、思い返すと笑えるくらいの何もしらない、なにもできない”小僧”でしたからね。それでも入社できたってことは採用を決断してくれた人がいたってことです。



採用面接のとき初めてお会いしたMさん。入社して最初のマネージャであり、私が入社する前から数多くの伝説を作って来たエンジニアでありました。初めて見たときのイメージは



「でかくて怖そう」



私からしたらまさに雲の上の存在でした。日本人でCCIEを(確か)3番目に取得。日本で今の部署を立ち上げ、最初のお客様の担当エンジニアとして活躍されたと聞いています。私はマネージャのMさんしかしりませんが、部下のエンジニアに対する姿勢、考え方、ロジカルな話し方、押しの強さ、ぶれのなさ、すべてが私にとっては衝撃でした。



結局私は1年間お客様担当につくことなく、ひたすら勉強の日々を送ったのですが、それはMさんの判断でそうしてくれたのです。後から聞いた話ですが、結構私が勉強だけしていた様子を快く思わない先輩もおられたようです。そりゃそうですよね。まさに給料泥棒なのですから。そういった不満を抑えて自分にひたすら勉強の機会を与えてさせてもらえたということは心から感謝しています。なのでCCIEに合格したときも、いの一番にMさんへ報告メールしました。



それでも、エンジニアとして使い物になるまでは客先に出さないという姿勢を「貫く」ことはなかなかできることではありません。おかげで、この1年のうちに本当の基礎を身につけることができたと思います。



結局Mさんの下にいたのは最初の1年だけでした。私はMさんから



「YO茶ちゃんには一生ボイス野郎になってもらうから」



という、いまでも忘れられない伝説の一言によって、ネットワークエンジニアからボイスエンジニアになるべく別の部署へと異動したのでした。



そしてボイス野郎になるべく一生懸命がんばり、何年かたって一応それなりに仕事ができるようになってからのことです。Mさんと食事をしたとき、なぜ自分を採用したのか、そしてエンジニアを採用するときの基準についてお聞きしました。すると、採用するにあたっての基準はMさんの中では当時4つあって、


1.努力しそうなやつ

2.どんな客様に行っても、必ず生きて帰ってくるやつ

3.英語ができるやつ

4.UNIXができるやつ(仕事の関係上)


ということでした。(本当はもう少し細かい基準があるそうなのですが)


私の場合、1.で採用したのだそうです。まあ、このできの悪いのをとったはいいが、どうすんべか、というのが正直なところだったとかw(あとは、前職の同期Mが先に入社していたので、縁故採用してくれたという色もかなり濃いですw)



驚きなのはこの当時Mさんが採用したエンジニア(私が同期といっているメンバー)の中からは辞めた人がほぼおらず、しかも全員各チームのコアなエース級として活躍しています。本当に、「漏れなく活躍」しているのです。本当にMさんの人を見る目には驚かされます。いや、まじで。



そんな当時の古株メンバーが集まり、Mさんを囲んで飲み会を開きました。いやー、あんなメンバー、もう二度と集まらないんだろうなぁ、という位の豪華メンバーがそろいました。入社してほどない人達からすると「え?なんでこの人たちが集まるんですか?」と驚くにちがいないであろう、エース級と重鎮が集まっています。


Mさんの先見性はすごいなぁ、と改めて思った次第です。


いやー、飲み会楽しかったなぁ。



今でも私の中では大きな、大きな存在です。人生を良い方向に導いてくれた人でもあります。人生のターニングポイントには、その先を決める重要なキーマンが必ず現れますが、Mさんは間違いなくその中のおひとりです。



今の私があるのは、Mさんに採用して頂いたからです。Mさん、本当に、本当にありがとうございました。



#日々感謝 m(_ _)m