沖縄ひとりたび(2) 〜激戦の地、戦跡を巡る(1日目)〜 (写真を追加しました)
前回書きました沖縄一人旅の続きです。(前のブログはこちら)
さて、今回の旅行の相棒、フィット君に乗り、まずは旧海軍指令部壕へ行く事にしました。場所は宿泊先から20分ほどの場所にあります。場所は小高い丘?山?の上に位置します。指令部なので、見晴らしのよい場所に陣取ったということでしょうか。
駐車場には何台かの自動車が停止しています。私が壕の入り口はどこか、案内図で確認していると、3、4人の初老のグループが戻って来ていました。どうやら、この方々はタクシーを貸し切り、運転手さんに観光地を案内してもらうサービスを使ってまわっているようです。案内図はこちらです。
やはり、とても良い眺めですね。ここからであれば、戦況を一望できたかもしれません尤も、アメリカ軍が進行してきたら外に出る事は難しかったでしょうが。。
そして壕の中に入ります。この壕は有料です。受付でお金を払うと最初に展示室の資料を見てから壕に進んで行くように言われます。出口は入り口とは違う場所になり、一旦壕に入ると戻ってくるのに時間がかかるからだそうです。展示室の前には、大きな戦艦大和の模型が。リアルです。
そして入り口には、沖縄戦線を指揮した総司令官、太田中将の写真がかざってあります。こういう方だったのか。
その写真の下には、太田中将が自決する前に、大本営へ打った有名な電文が展示されています。特に有名なのは、最後の部分です。
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
展示室には、沖縄戦の様子の写真が展示されています。中には目をそむけたくなるような惨いものもあります。そして、内地の家族に送られた手紙の複製が紹介されています。手紙を読むと、その感覚は私たちと何も変わりません。家族を思いやり、大切にしている様子、そしてもう帰る事はないでろう覚悟、自分がいなくなったあとのことを家族に託す思い。
当時戦ってなくなられた日本兵個人個人を悪者になぜできようか。みんな、当時も今も変わらないこの国を支える国民だったのです。
資料室をまわったあと、いよいよ司令部壕へと進んで行きます。階段をおりていくのですが、そのトンネルの立派さにただただ驚きます。
トンネルの壁をよく見ると、すべて人の手で掘られ、削られたのだということがわかります。ツルハシで削った後がその様子を物語っています。これだけの壕を作ろうと思ったら、どれだけの人の手と手間がかかったことか。
司令官の部屋。ここで太田中将は最後の電文を打ったそうです。
中には、司令官や将校が手榴弾で自決した部屋があります。部屋に入ると、急に空気が変わります。さらに重く、ひんやりとした感じです。その壁には飛び散った破片の跡が生々しく残っています。当時追いつめられていった結果選ぶ道は本当にそれしかなかったのか。この壁を見ると、無念さが伝わってきました。
場所場所で手を合わせ、亡くなった方々のご冥福をただただお祈りしまいした。展示室とあわせて1時間くらいでしょうか。ようやく出口につきました。
出口横にお土産屋さんがあります。かなり気持ちが重ーい感じになりましたところにお店のおばちゃんからアロハ?かりゆし?を奨められまして、すごくきれいなブルーのアロハがありましたので、ノリで購入。おもしろいもので、それを着たら一気に南国気分になります。
この時点で夕方4時。ここから南部の戦跡をまわるには時間が足りないですし、あまり暗くなってからはいろんな意味でよろしくないなぁ。一ヵ所だけ、那覇市内の「大典寺」というお寺に女子看護隊の慰霊碑があります。そこならそれほど時間もかからないので、そこに行く事にしました。
ここには私立積徳高等女学校の女学生で構成された「積徳女子看護隊」の亡くなられた方々の慰霊碑があります。現地に行く前にまずお寺に電話し、訪問してもよいかどうか確認しました。電話には(おそらく)ご住職と思しき方が出られました。主旨を説明すると、意外なほどあっさり快諾。閉館時刻などは特になく、車も来訪者用駐車場に入れてもらってよいとのことでした。
これが積徳高校女学校慰霊之碑です。
慰霊碑に刻まれたお名前。多くの学生さんが命を落とされたという事に、胸が痛くなります。手を合わせ、自分なりに出来る心からの祈りを捧げました。
沖縄本島にある女子看護隊の慰霊碑はあと5箇所です。4箇所は糸満市、1箇所は名護市にあります。距離的にも遠いので、こちらへは2日目に訪問することにしました。
まだ空は明るいな。次はどこに行こうか。時間的にもあと1箇所かな。
私は普天間基地を見に行くことにしました。宜野湾市であればそこまで遠くはありませんからね。Facebookのお知り合いから、普天間基地を一望できる公園があることを教えてもらっていたので、そこへ向かうことにしました。
その場所は、嘉数高台公園と言います。観光スポットにはなっていません。地元の住民が使用する普通の公園です。カーナビに従い現地へ。たまたま1台だけ駐車場の空きがあったのでそこにフィット君をとめて公園に向かいます。小さい子供を連れて遊んでいる親子や、サッカーの練習をしている少年たち。普通に使われている公園なのですね。
小高い丘の頂上に向かう長い階段を上がると、ソフトクリーム?と思わず思ってしまった展望台が。中央のらせん階段を登り、一番上へ。これが展望台です。若干おどろおどろしい写りとなってしまいましたね(汗)
ちなみにこんな説明がありました。
景色は最高です。するとすぐに普天間基地が見えます。基地内にはオスプレイが整然と並んでいます。本当に驚く程民家が基地周りに密集しています。確かにこれは危ない。
この展望台ですが、先客がおりました。椅子に大量の撮影機材を置いていて、ずーっと普天間基地の方を凝視(というより監視)している男性が。。さらに、電話でなにやらずっと喋っている女性が。。漏れ聞く声を聞くと、
「xx時xx分、xxxxx。yy時yy分、xxxx・・・・」
と、時刻とそれに対する何かをずっと報告してます。
なるほど。
これが市民活動家か。
ある種の執念のようなものを感じました。この人たち、どうやって生計をたててるんだろう?
そうしていたらヘリコプターが。結構な音をたてます。夜だとこれはうるさくて眠れないなぁ。
この公園にも慰霊碑がありました。写真は京都の塔です。
沖縄には各県毎に亡くなった方の慰霊碑があるそうです。
ここにはその他にトーチカや地下壕の入り口もあります。
時間が時間だけに、かなり周りの雰囲気が重くなってきます。もうここはそろそろ離れないと。
こうして、1日目の訪問は終了しました。
ホテルに戻り、FB友達のY式さんの紹介で焼肉屋さんへ。ここのオーナー、店長と熱い会話が出来ました。(お店の紹介はグルメ/観光編で書きますね。)
昔は、今のように県内がおかしくはなかった。テレビやメディアで報じられているような思いは沖縄県民の総意だなんてことは全然ない。例えば、学校で大多数はまじめなのに、数名の変な跳ね上がりが目立つことでその学校の色が決まってしまうようなもの。民主党が政権を取ってからおかしくなった。
などなど。。。
知り合いになれて嬉しかったです。次回沖縄に行くときにまたお会いしましょう!>オーナー、店長
とまあ、1日目はこんな感じでした。1日目だけでこんなに長くなるとは。。。このまま2日目に突入してしまうと、長くなりすぎる。。。
ということで、ここで一旦切って、怒濤の2日目は次回とします。
ということでしばしお待ちを(って、誰か待っているのだろうか?)
#日々感謝 m(_ _)m