僕らはわすれちゃいけない、あの震災を(写真を追加しました)(大切な追記をしました)
※今回のブログの記事に関し、最後に追記をしました。(2012年3月11日)
Facebookにある写真が流れてきた。
それを見て、言葉を失った。
泣けて、泣けて、仕方がなかった。
こちらをみてほしい。
気仙沼で発見された携帯に残っていた最後のメール。あえて転載させていただく。
「もうバッテリがないよ
痛いと言わなくなったので
妹はさっき死んだみたいです。(T。T)
埼玉はだいじょうぶですか?
またお父さんと一緒に
ディズニーランドに行きたかったです
お父さん 今までありがとう
だいすきなお父さんへ
本当にありが
享年 長女17才 次女14才 」
最後の最後に、父親に対する感謝の気持ちを書いている。このメールを見た父親の気持ち、察して余りある。さぞつらく、「なぜ助けてやれなかったのか」という悔しい気持ちでいっぱいであったことだろう。今もそうなのかもしれない。
私にも2人の娘がいる。そしてディズニーランドが大好きである。この娘さんたちは、震災の中、どれほどの恐怖に耐えながら助けを待っていたのだろう。
泣けて仕方がない。
僕らは忘れてはいけない。あの震災を。まだ、復興などなにもしていない。1年前から何もかもが止まったままなのだ。
3月11日、皆さん、どうか、震災で亡くなった方たちのために祈りをささげてほしい。そして、その方たちの想いを引き継ぎ、私たちは前に進もうではないか。
姉妹にこの写真をおくります。どうか、安らかに眠らん事を。
(3月11日追記)
今回記載したブログの元ネタとなったメールについて、実話ではなく創作ではないかという話が出回っています。現段階では、様々な客観的な事実からすると、実話ではない可能性が高いのかなぁ、と私個人は感じています。
やはり、その内容が創作(の可能性が高い)と最初にわかっていたら、このブログに書いた内容までの感情のうねりが発生したかとうかは???かなと思います。もともとこの情報を流した方の意図がどこにあったのか。少なくともそこは確かめた上で書くべきであったなと反省しています。
ところで、事実かどうかという議論とは違う観点から少し思ったところを。。
今回のブログは、元記事を見て自分の中にわき上がった感情をすぐにそのままぶつけたものです。最初、これが事実ではないのでは?という意見を聞いた時、正直イラッとしました。
このメールを通じて、改めて震災に対して復興に向けてがんばる思いを強くさせてくれたし、亡くなった方への哀悼の意を思い起こさせてくれたのに、なぜ冷や水を浴びせるのだ!と。だからこのメールが事実かそうでないかは問題ではないだろう!とまで思いました。
しかし、上記のような思いを持つことと、このメールが事実かどうかという点は、分けて考えねばならないと思うに至りました。
この一連の流れの中で、私はハッとしました。
「あぁ、これは日本人特有の『空気』醸成の初期段階を体験したのだ」
と。
この流れが大きくなり、日本全体で大きなうねりとなってしまうと、その元となる対象が神格化されていくのです。そうなると、対象が事実だったかそうでないかは問題ではなくなってしまいます。(その神格化事象が良い事か悪い事かは別として。)そして、その対象に対して反論する、いわゆる「水を差す」ことは「けしからん」と封殺されることになっていきます。(山本七平氏は、これを「臨在感的把握の絶対化」と呼んでいます。)
「空気」というものは、非常に危険なものです。国民が「空気」に縛られ、身動きがとれなくなる。しかし、その事象が去ってしまうと、その責任者が誰かわからなくなる。今回は早い段階で「冷や水を浴びせる」ことがあったので、冷静になって考えることができたと思います。
私は、こういったことがインターネットを通じてあっと言う間に広がるという現在こそ、「空気」の醸成が起きやすいのではないかと今回感じました。
ただ、そこまでの思いに至ったということを踏まえた上で、私たちは震災で亡くなられた方に対し哀悼の意を表し、そして復興に向けて力を尽くさねばならないという想いを再認識させてくれたという点においては、共有できる感覚であり、少なくとも私には意味のあるメールであったと思います。
ということで、本件に対する追記でした。
この件、どなたの批判をしているわけでも反論している訳でもありません。どうか、その点、ご理解ください。
#情報の取り扱いについては、自分もまだまだ甘いかなぁ。。
#日々感謝 m(_ _)m